貯木場での楽しみ

 私が小学4年の頃はすでに大量の外材(外国産木材)が船で輸入され始めた時期(1966年)で、外材は、一端港の貯木場に集められました。私の生まれた清水の港でも同じ方法で、貯木場に一時的に集められました。ここに置かれた材木は、数日がかりで幅3m、長さ約100mほどの筏にされ、潮時をみて運河(巴川)をチャカ(ポンポン船)に引かれてさかのぼります。さかのぼった先には、製材所の貯木場があり、そこで製材されるまでの間放置されることになります。巴川にある製材所の貯木場はいろいろで、水門が付いていて十分な管理がいきとどいているところや、水門が壊れたままで水位調整もできず、古い材木は腐れて沈みかけているようなところまでいろいろありました。材木の管理からすれば前者がいいことは間違いありませんが、こと自然の豊富(多様性)さでは、後者に軍配が上がり、子供たちの良い遊びのフィールドとなっていました。私も、ここを自然とのふれあいの場として、魚を釣ったりして楽しんでいたのですが、実は、貯木場には非常に危険な側面がありました。それは、魚捕りがこうじてついつい、大人から「貯木場の丸太に乗って遊んじゃだめだよ!」と言われていることを忘れて(実際には無視)は、タモ網・釣り具・バケツを持って丸太に乗っかります。よく丸太が回って、落っこちるふとどきものもいて、騒ぎで駆けつけた大人達にしかられ退散を余儀なくされる場合もありましたが、聞いた話では、落ちた丸太の間に挟まって大怪我をした子供や落ちた拍子に丸太が水面を覆い溺死した子供もいたとか聞いていたのですが、当時の私たちワルガキは、怖いもの知らずですし、それよりもいろんな生き物を捕りたい一心でしたから、怒られても怒られても貯木場で魚捕りにこうじていました。

貯木場で釣りをする風景
写真 (C)Masahiko Ishihara

 私がフィールドとしていた貯木場は、2箇所ありました。1つは家の裏の製材所の貯木場、もう一つは運河を挟んで川向こうの貯木場でした。川向こうの貯木場は、水門がしっかりしていて水位もかなり確保されていて釣りに向いていましたが、家裏の貯木場は水門が壊れていて水位管理が出来ないかわりに、巴川の本流から魚が常時出入りしていて、大雨の後などは、飼われていた金魚や鯉が流されてこの貯木場にたくさん逃げ込んでいたので、タモ網をもって出動していました。ですから、この貯木場がひとつの水場としてのコミュニティを形成しており、巴川本流の自然を凝縮したような環境になっていたのです。そこには、金魚・コイ・フナ・ウグイ・ボラ・カメ・トノサマガエル・ウシガエルオタマジャクシ・ドンキュウ(大ドジョウ)・ドジョウなどに混じりタガメ・ヤゴなどの水性昆虫も豊富でした。

私の家の裏手の貯木場の平面図
画像(C)Nobuaki Ogawa


 男というものは不思議なもので、子供の頃からある種の所有欲が旺盛なようで、私も裏の貯木場の生き物を家で飼うことが至上の楽しみであり趣味でしたから、ほとんどの生き物は家で飼っていましたが、ウシガエル(食用カエル)だけは、なかなか捕ることができませんでした。というのも夜行性の彼らは、昼間は貯木場の片隅の腐れ丸太の陰に隠れていて、なかなか出てきません。夜に「グウォーング グウォーン」と鳴くその鳴き声だけが耳に入るのでした。そこで、うちの爺さんに相談すると「早朝お日様が昇る前が勝負だ、釣り竿に引っかけ針を付けて、その針に赤い布を付けてウシガエルいそうなところでピョコピョコ動かしてみろ!」って言われまして翌朝、目をこすりこすり実行してみると、なんと足を伸ばした状態で体長約45センチもある貯木場の主が捕れました。この時、爺さんに教わったのは、ウシガエルのように大きなカエルになると、食えるものはすべて食うという習性があって、自分より小さなもので動くものならすぐに食らいついてくる、それが食えないものなら吐き出してしまうということでしたが、赤い布は三本針の引っかけ針ですから、ウシガエルもものの見事に釣れてしまったというわけでした。

三本針の引っかけ針

 ウシガエルの息は長く続くもので、家の水槽に入れると30分以上水中にいます。これくらい大きくなると、水中での運動能力は相当なものでも、陸上では普通のカエルのようにピョンコピョンコとジャンプは出来ず、のしのしと歩くことしかできないので、家で飼うのは簡単でしたが、さすがに大食漢だったのと子供心に、主がいない水場がなんか寂しい感じをうけてまたもとの住処に逃がしてやったことを覚えています。また翌日から普通のウシガエルの声に混じって、私の釣り上げた主の低い大きな声が暗い貯木場に響き渡っていたのをいまでも忘れません。
 そんな自然が豊富だった貯木場は、お世辞にもきれいな水場ではありません。あのころの運河(巴川)は、今とは比べものにならないほど汚れていたのですから、当然ですが、それでも、生き物たちは、そこに順応し力強く生きていました。なんか、生き物のたくましさを感じてしまいます。 今では、市中の製材所がなくなり貯木場も数少なくなって、私たちが経験した自然を今の子供達が体験できなくなっていることがなんかさみしい感じがするのは、私だけでしょうか。

 私たちが、こんな自然の中で体験した生き物の命の尊さや自然の大切さは、今の子供達に語り継いでいくだけでは伝承していけませんね。
 デパートでカブトムシやクワガタが売られていて飼育の方法などが解説された本が売られていますが、それを買った子供達には、虫たちが本当はどんなところが好きでどんなところに住んでいるかわからないでしょう。水族館に行けば、普段見られない魚まで見ることができる。それを否定するわけではありませんが、少々の危険を犯したり、ガンガゼの針で足を刺されながら痛い思いをすることは自然を知るための一番の方法です。危険とわかっていながら、そこに子供を放り出すことは論外としても、「自然には危険がいっぱいあるんだ。」ということを身をもって経験したりすることが、本当の自然体験だと私は思っています。自然が少なくなったといっても、まだまだ自然は豊富に残っています。さあ、休日にお子さんを連れて昔あなたが体験した自然を探しにいってみてはいかがですか・・・

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